袖神稲荷縁起
- 那須与一は、稲荷を守護神として戦場でも肌身離さなかったといいます。
屋島の合戦で扇の的を射落とすよう命ぜられた時、「射損じなば生還せず」と、右袖を投げ捨てました。
那須与一は稲荷大明神に大願成就を祈念し、みごとその扇を1矢で射ぬき、戦功により荏原庄を賜ったのです。
那須与一の投げ捨てた片袖は稲荷を祀った子孫により、御神体と共に安置されています。
近代の袖神稲荷
- 那須与一が守護神とした稲荷と右袖を捨て命を託した一矢。
長い歴史の中で、「大願成就の一発の威力にあやかりたい」と信仰を集めてきました。今日入試、就職など種々のお願いに訪れる人も多く、稲荷神社の絵馬、お守りは近年人気が高まっています。
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